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第43回:山県有朋の「奇兵隊戦記」

ビブリオイズム043

 幕末長州においてその知名度と人気で言うなら吉田松陰高杉晋作が筆頭だろう。続く三番手に木戸孝允伊藤博文あたりが出てくるだろうか、いや人気でいけば久坂玄瑞が食い込む可能性もある。そしてようやっとその次ぐらいに山県有朋井上馨かといったところだろう。

 山県は人気がない。帝国陸軍へと続く道筋をつけた人物として軍隊がついてまわるので、世間一般のイメージとしても華やかさは全くない。ただ、明治、大正と日本が西欧列強に食いつぶされなかったのは、この人のおかげである。歴史にはその時その時に必要とされる人物が生まれ、仕事をするという性質がある。たとえそれが鬼子であったとしても。軍隊に良いも悪いもない。それが生まれる背景があり、生まれて仕事をしたというだけの話である。それが仮によからぬ結果をもたらしたとしたら、我々はそこから学び直せば良い。

 本書は題名の通り、山県有朋が奇兵隊とともに戦った幕末維新の戦争の記録である。山県本人の二冊の回顧録を読み解きながらその時代を描いていく。後半の戊辰戦争のあたりが一番山県の思い入れも強そうで、読みどころである。長州人でありながら西郷隆盛を敬愛したという山県の姿も端々に見えて面白い。

 吉田松陰→高杉晋作→木戸孝允→山県有朋→伊藤博文、これらの人物評伝を一冊ずつ読めば、長州幕末維新史は一通り網羅できるだろう。同じエピソードを重層的に眺めることもできるから、一冊読むより絶対楽しめる。


第42回:星の神話・伝説

ビブリオイズム42

 アリエス、タウラス、ジェミニ、キャンサー、レオ、バルゴ、ライブラ、スコーピオ、サジタリアス、カプリコーン、アクエリアス、ピスケス。いまだに黄道十二星座がカタカナ表記で言えるのは「聖闘士星矢」のおかげである。これに共感してくださる方はほぼ同世代と思っていただいて間違いない。

 星を見て詩を歌おうとするか、星を見てそこまでの距離を計ろうとするかは人によって異なるが、夜空の白点をつないでそこに獅子を見、白鳥を見るのもまた詩人や天文学者とは違った才能といえる。どうしたらWの星が王妃カシオペヤに見えるのか。古代人の妄想脳に脱帽である。
 星の神話で一番に思いつくのはオリオンとさそりの話である。小学生の時プラネタリウムでオリオン座とさそり座が同時に空に現れることはないという話を聞いて大いに感動したことを覚えている。だがオリオンはともかくさそりの方は未だ天空に見たことはない。都会の星はどこへ行ってしまったのだろう。


第41回:動物農場

ビブリオイズム41

 権力の甘い罠。それにいとも簡単にからめ取られる人間。からめ取られた末の世界。動物の姿を借りて語られる現代のおとぎばなしである。
 そこにソ連の歴史を重ねるかどうかは今となっては大した問題ではない。普遍的なヒトの姿がそこにある。ただし、豚好きの人は読むべからず。


第40回:レトリック感覚

ビブリオイズム40

 「レトリック」と言われてもピンと来ない人も多いだろう。日本語では「修辞」と訳されるが、言葉の飾り方の話である。

 「みきちゃんのホッペはりんごのように赤い。」
 これは「りんごのように」で赤さを飾る「直喩」である。

 「みきちゃんのホッペはりんごだ。」
 こちらは「隠喩」。「ホッペ=りんご」という無茶な離れ技である。

 小学校の詩の時間に習う悪名高き直喩と隠喩。どちらか分からなくなってこんがらがった経験をお持ちの方も多いと思う。これらもレトリックの一部である。
 みきちゃんのホッペが赤いことを伝えたいのになぜわざわざりんごを持ち出すのか。これはつまり書き手が読み手をたぶらかしたいからである。小説家はレトリックを駆使して生計を立てていると言っても過言ではない。

 みきちゃんのホッペは赤い。
 みきちゃんのホッペはりんごのように赤い。
 みきちゃんのホッペはりんごだ。
 みきちゃんのホッペ、赤きことりんごの如し。
 みきちゃんのホッペは赤く、それはまたりんごと形容してもよい。
 みきちゃんはりんごと呼ばれている。それはほっぺの赤さのせいである。
  ・
  ・
  ・
  ・

 ホッペが赤いことを伝えたければただそう書けばよい。書いて終わりである。夏目漱石が書いても、太宰治が書いても、林真理子が書いても、重松清が書いても、東野圭吾が書いても、僕が書いても「ホッペが赤い」は「ホッペが赤い」。終わり。それ以上でも以下でもない。だが小説家はその赤さを印象づけるため、あるいはまた別の意図で、あれこれとレトリックをひねるのである。そして読み手をたぶらかし自分の世界に引きずり込み、感動させ、イライラさせ、涙をさそう。

 文章というのは紙という平面の上に記されたインクの染みである。しかしそれが時に派手に、時に落ち着いて、さまざまに模様を描き出し、そして時に平面上に凸凹を生み出す。小説家のたくらみに伸るか反るかはその人次第だが、レトリックがなければ文章を読む楽しみなど皆無になってしまうことだろう。そのことを少し理詰めで、少し知的に教えてくれるのが本書である。


第39回:鼻行類

ビブリオイズム39

 それなりにいろいろな本と出会ってきた。
 面白い本。面白くない本。感動する本。しない本。ためになる本。ならない本。後悔する本。しない本。子供向け本。アダルト本。そしてこの「鼻行類」。どう形容したらよいやら……「今まで出会った中で一番ヘンな本」である。

 「鼻行類」という鼻で歩く哺乳動物の大真面目な研究書なのだが、一見して怪しいイラスト満載で「こんな生き物おらんやろ!」と誰もが突っ込むこと請け合いである。小説の中で架空の生物をつくり上げて、それらしく書くことは普通に行われる。だがこの本は体裁だけは完璧なまでに動物学の研究書の形をとっているので、戸惑う。一応「嘘だ、嘘だ、作者の空想の産物だ」と思いながら読み進めていくのだが、全て読み終えてもどこにも嘘の証拠を見つけられない。鼻行類は既に、あるアクシデントによって棲息していた島ごと消滅してしまって、現在地球上に存在しない。実在を証明できないのは確かだが、実在しなかったとも言い切れない。しかも本書はご丁寧にも最後に参考文献まで掲げられており、完全な研究書の体裁を貫き通して終わる。(その参考文献も全て島の消滅とともに一切失われたらしい。)

 バカバカしいと思いながらも、絶対にいなかったとも言い切れない、この宙ぶらりん感。かつてない未消化の不快。鼻行類がいたかどうかは完全に読者に委ねられる。実在しなかったと言い切る拠りどころは「私がこの本を嘘だと思うから」という自己の信念によるしかない。

 こんなヘンな本は見たことがない。しかし読んだ人間が何かしら試される本ではある。


プロフィール

タニグチゲン

Author:タニグチゲン
紙の本が好き。
お気に入りの本をオリジナルイラストとともに紹介します。

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