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第39回:鼻行類

ビブリオイズム39

 それなりにいろいろな本と出会ってきた。
 面白い本。面白くない本。感動する本。しない本。ためになる本。ならない本。後悔する本。しない本。子供向け本。アダルト本。そしてこの「鼻行類」。どう形容したらよいやら……「今まで出会った中で一番ヘンな本」である。

 「鼻行類」という鼻で歩く哺乳動物の大真面目な研究書なのだが、一見して怪しいイラスト満載で「こんな生き物おらんやろ!」と誰もが突っ込むこと請け合いである。小説の中で架空の生物をつくり上げて、それらしく書くことは普通に行われる。だがこの本は体裁だけは完璧なまでに動物学の研究書の形をとっているので、戸惑う。一応「嘘だ、嘘だ、作者の空想の産物だ」と思いながら読み進めていくのだが、全て読み終えてもどこにも嘘の証拠を見つけられない。鼻行類は既に、あるアクシデントによって棲息していた島ごと消滅してしまって、現在地球上に存在しない。実在を証明できないのは確かだが、実在しなかったとも言い切れない。しかも本書はご丁寧にも最後に参考文献まで掲げられており、完全な研究書の体裁を貫き通して終わる。(その参考文献も全て島の消滅とともに一切失われたらしい。)

 バカバカしいと思いながらも、絶対にいなかったとも言い切れない、この宙ぶらりん感。かつてない未消化の不快。鼻行類がいたかどうかは完全に読者に委ねられる。実在しなかったと言い切る拠りどころは「私がこの本を嘘だと思うから」という自己の信念によるしかない。

 こんなヘンな本は見たことがない。しかし読んだ人間が何かしら試される本ではある。


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第31回:数字マニアック

ビブリオイズム31

 数字にも履歴がある。
 例えば「2」「2という数は、素数のなかでただひとつの偶数である。」なるほど、そうですね。本書はこのような形で1から200までの数を取り上げ、様々な履歴を語っていく。
 先の「2」の説明の続き。「また、その綴り(two)に“e”を含まないただひとつの素数でもある。すべての奇数(その1の桁は、one,three,five,seven,nine)の綴りには“e”が含まれているからである。」ふむふむ、だから?という感じであるが、こういったどうでもいい情報も含みつつ、簡単な数学知識ももちろん語られる。その日の気分で好きな数字を選んで読んでみるのもいい。

 日常において数字を目にしない日はない。時計、カレンダー、値段、電話番号、カード番号、気温、降水確率、テストの点数、身長、体重……。ラッキーナンバーなんてものもあるが、あれはどうやって決めているのだろうか。星の動きとかからだろうか。
 ラッキーナンバーは気にしたことがないが、数字との相性思い入れといったものは人それぞれにあるような気がする。例えば僕は10月4日生まれなのだが、時計をふと見たとき「10:04」と表示されていると少し嬉しい。誕生日はその人がこの世に生まれてきて初めて関わる特別な数字だ。以前友人にそんな話をしたら「10:04なんて毎日2回365日やってくるから珍しくもないし、大体時計なんてものはそれぞれ1、2分ずれていたりするものだから、たまたま見た時計が誕生日を指していようといまいとどうでもいい」とつれなくされた。
 でも、やっぱり、いまだに嬉しい。


第22回:数学の教科書が言ったこと、言わなかったこと

ビブリオイズム22

 数学の教科書はサービス精神に欠けるらしい。
 作者はそう指摘する。「らしい」と書いたのは、僕自身はあまり教科書自体にサービス精神を求めたことがなかったので、ピンと来ないからだ。そしてほとんど教科書は真面目に読まず、授業だけ受けて、あとは市販の参考書で勉強していた。教科書は永世中立。サービスや親切とは無縁。そう考えてきた。

 で、サービス精神旺盛な市販の参考書で勉強してどうなったかといえば、高校半ばで結局数学に挫折してしまったのである。なんとも面目ない。
 だから本書が言うように教科書のわかりにくさが数学嫌いを助長しているという話は、一理はあるだろうが根本的な理由ではないような気がする。

 結局のところ数学に愛されるか愛されないか、だと思う。そして愛される人は「余裕度」が高い人だという気がする。

 「九九」は知っていると買い物の時、役立つ。「速さ」の計算ができればドライブの計画が立てやすい。「割合」がわかるとめんつゆをどれくらいの割合で薄めれば良いか分かる。小学校の算数はどれも具体的で実生活で、全てではないが、役立つこともある。

 しかし中学、高校と数学はどんどん抽象度を増し、当面の役立つ役立たないを度外視した「知的遊戯」と化してくる。脳みそに余裕のある高等遊民の遊びである。
 そしてある時僕は叫んでしまう。
 「微分積分なんて、俺の人生でいつ使うんだよ!

 大人になれば分かる。知的遊戯を楽しむ「無駄な」勉強があってもいい。でも高校生は若い。マンガも読みたい。テレビも見たい。友達と遊びたい。物理学者になるわけでもあるまいし、興味のわかないお遊戯に付き合う余裕はないのだ。 
 やがて決定的な時が訪れる。
 「数学出来なくったって、死にゃしねー!」
 数学世界と理系への道に決別を誓うのだ。決別といえばかっこいいが、後ろ足で砂をひっかけて逃げるのである。


 本書の作者もあまり数学に愛されなかった人らしい。
 だがそれでも愛し続けて数学の教師になった稀有な人である。奇特である。だから作者の言葉は、数学を好きだったのに愛されたかった人の言葉にできなかった恨み節の代弁にもなっている。しかし悲しいかな、恨んでも恨んでも、一度好きになった相手は恨みきれるものではない……。

 最近は大人のための高校数学やり直し参考書も多く出版されている。この本はそういった演習本に橋渡ししてくれる好著である。

 数学へのしょっぱい未練がある方へ。


第17回:鳥たちの驚異的な感覚世界

ビブリオイズム17



 鳥が好きである。
 絵になるから。
 かっこいいから。
 飛べるから。
 たぶん鳥は鳥だから飛んでいるだけで、好きで飛んでいるわけではないだろうけれど。

 鳥は身近な野生動物である。すずめ、鳩、カラスなどはほぼ毎日出会うし、つばめやヒヨドリも見かけることは多い。少し川沿いを歩けばサギもいる。最近街中でよく見かけるようになったのは、ムクドリとハクセキレイ。ハクセキレイは尾羽をひょこひょこ上下させて歩く姿がかわいらしい。ついじーっと目で追ってしまう。

 飛べてしまうというだけでもう人間からすると驚異の世界に住んでいるわけだが(まあ、その点で言えばハエや蚊も驚異の世界だが)、その鋭い感覚にまた驚く。

 例えば“eagle-eyed”“hawk-eyed”と言われるように視力に鋭さに鷲や鷹が形容されるが、猛禽類の目の良さは想像をはるかに超える。本書にもこんな記述がある。
 「小型猛禽のアメリカチョウゲンボウは一八メートルの距離から体長二ミリメートル虫を発見できる。」
 人間に18m離れて視力検査をしましょうといったら、みんな笑うだろう。(ちなみにアメリカチョウゲンボウというのはハヤブサの仲間。)

 あと本書を読んで意外だったのは、くちばしの敏感さだ。
 くちばしというのは人間の爪と同じようなものかなと漠然と考えていたが、これがなかなかに繊細な部分らしいのだ。
 「鳥類のくちばしは鈍いどころではない。くちばしのさまざまな部分の小さな孔には、触覚刺激を感知して情報を脳に伝える触覚受容体がたくさんある。」
 従って鳥類は羽繕いを微調整しながらできるのだ。さらにこんな面白いことも書いてあった。
 「ボウルにシリアルを入れ、牛乳を注ぐ。さらに、粒の細かい砂利を加えて混ぜる。スプーンを使わずに食べられるものだけをどう飲み込めばいいだろう。お手上げだと思うが、カモにはこれができてしまう。」
 実際、カモは池の泥水にくちばしを突っ込んだ後、くちばしをすばやく開閉し板歯を使って泥から水草や藻、虫などを濾し、食べられるものはのみ込み、泥や砂利や水は吐き出す。敏感なくちばし先端器官と、口内のあちこちにある触覚受容体、味蕾をフル活用して泥水の中の見えない餌を選り分けることができるわけだ。

 飛ぶことばかりに目を奪われてしまっていたが、実に多才な芸の持ち主だったようである。失礼しましました。


第16回:乾燥標本収蔵1号室

ビブリオイズム16

 美術館には時々行くが、博物館にはほとんど行かない。
 昔行ったかすかな記憶をたどれば、確か石器や土器が時間軸に沿って飾ってあり、あと甲冑もあった気がする。他に昭和30年代くらいの一般家庭の居間を再現した部屋があったように思う。いずれにせよその程度の曖昧な記憶しか残っていない。熱烈にもう一度行きたいとは思わなかった。

 本書は大英自然史博物館の元研究員が語る、博物館の悲喜こもごもよもやま話である。
 「自然史」博物館とあるように、ここは動植物はじめ自然物専門の博物館で、元々は大英博物館の自然史部門が独立したものである。膨大な昆虫標本、動物剥製、化石、鉱物がひしめき合う地球全史の迷宮のような所らしい。日本にもこういった博物館があるのだろうか。あったら行ってみたい。

 博物館というのは「分類」という人間の宿業を具現化した城である。
 人間は分類する。そして名付ける。名前をつけないと安心できない生き物である。そして名前を付けてしまってとりあえず安心してしまう生き物でもある。名前というものは不思議なもので、知らない花の名前を知っただけでわかった気になったりもする。ちょっと怖い気もする。
 しかしだ、こうやって分類しまくって、名前を付けまくるというただそれだけのことですら、地球全体の生物種に対してはまだまだ道のりは遠い。例えば菌類ではこれまで200万種ほどが命名されているが、まだ同じくらいの数の種が名前をもらうのを待っているらしい。そしてほとんど知られていない生息場所がまだ地球上にあることを考えると、見つかっていない種はその5倍以上だろうと推定されている。自然は飽くなき人間の分類と命名への執念を簡単に打ち崩す。ただそれは裏を返せばこの惑星がいかに多産であるかの証であるともいえる。人間が絶滅させた種もたくさんある。もちろんそれを良しとするわけではない。しかし絶滅危惧種を認定し、レッドデータブックを作り、自然保護だ環境保全だと戦々恐々とする人間などものともせず、地球は生命を生み続ける。レッドデータブックなど地球からしたらちっぽけな人間の自己満足のパフォーマンスでしかないのかもしれない。実際地球は自らが作成するレッドデータブックに「ヒト」を載せ、そしてある日突然「絶滅」のはんこを押して終了、にするかもしれないのだ。ただそれは地球が人間に厳しいとかそういう話ではない。地球は人間に甘くもなければ、辛くもない。ただ淡々と生命を生み出し、淡々と土に返す。それだけである。


 この本で初めて知った言葉がある。
 法医昆虫学
 法医学というと「女監察医○○の事件簿」みたいなサスペンス2時間ドラマが思い浮かぶが、つまり犯罪性のある遺体の検死である。とてもお堅い世界である。しかしそこに「昆虫」が挟まれるだけで何だかファンタスティックな響きを持たないだろうか。しかしこれも歴とした学問分野でファンタジーではない。
 曰く「死体の腐敗に関わる昆虫学は、かなり精密な科学となった。少なくとも死亡時期の割り出しに関して、その前提はきわめてシンプルだ。異なるライフサイクルをもつさまざまな昆虫が、次々に死体を分解していく。死体が発見されたとき、それにたかっている虫を捕獲し、数を数えたり種類を調べたりすれば、それがいつからそこにあったか、おおよそのところがわかる。」
 要するに、死体にたかっているハエの種類や産み付けられた卵、ウジの成長具合が事件解明の鍵になるというわけだ。やはり門外漢にはファンタジーな感じが拭えないが、真面目な法医学の話である。
 死体分解の話のつながりで、カツオブシムシというのもいる。この幼虫は皮膚、靭帯、腱といった硬い部分も処理してくれるので、実際に博物館でも骨格標本を作る際に動物の肉を全てきれいに取り除いてもらうのに重宝しているのだそうだ。著者もこう言う。
 「私が死んだとき、最後に骨だけにしてくれるのはこの幼虫だろう。」
 どうやら天寿を全うしたら大英自然史博物館の骨格標本として展示物に収まる気らしい。博物館員の鑑!

 最後に紙本主義者にとっては嬉しい言葉があったので、ご紹介。
 「大方の研究者は、分類学のような『記録の学問』では紙に印刷された記録を図書館の棚に保管しておくほうが望ましいと考えている。それは紙という素材の永続性に惹かれるからだけでなく、実際的な理由からでもある。コンピュータのやっかいな点は、一度に掲載できる画像がせいぜい一つか二つに限られることだ。……(中略)……わたしたちは標本と画像を照合するとき、一対一で見比べるようなことはしない。人間の目と脳は複数のものを同時に見比べて、似ている点とちがっている点を比較するのがうまい。したがって未確認の化石や植物を手にしたら、一〇冊ほどの本を広げて(一冊か二冊は床に置いて)細かく見比べるのが最善の方法なのだ。」

 物としての「紙の本」が過去の遺物として土器や石器と並べられるには、まだ時間がありそうだ。


プロフィール

タニグチゲン

Author:タニグチゲン
紙の本が好き。
お気に入りの本をオリジナルイラストとともに紹介します。

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